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東京高等裁判所 平成7年(ネ)3501号 判決

主文

1  原判決を次のとおり変更する。

2  控訴人は、被控訴人らが各自控訴人のために金三七八万七八〇〇円の供託をするのと引き換えに、

〈1〉  原判決別紙物件目録二記載の建物について、平成七年一〇月二五日の売買を原因として、被控訴人中村宏に対し持分一〇分の九、被控訴人中村知子に対し持分一〇分の一の所有権移転登記手続きをするとともに、

〈2〉  被控訴人ら各自に対し、原判決別紙物件目録二記載の建物を明け渡せ。

3  控訴人は、平成五年一二月一日から右建物明渡し済みまで、被控訴人中村宏に対し一ケ月金二万八八七四円、被控訴人中村知子に対し一ケ月金三二〇八円の割合による金員を支払え。

4  被控訴人らのその余の主位的請求及び予備的請求を棄却する。

5  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを五分し、その一を被控訴人らの負担とし、その余を控訴人の負担とする。

6  この判決は、登記手続きを命ずる部分を除き、被控訴人ら勝訴部分につき仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1 原判決を取り消す。

2 被控訴人らの主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。

3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

1 本件控訴を棄却する。

2 予備的請求として、

〈1〉 控訴人は、原判決別紙物件目録二記載の建物について、平成七年一〇月二五日の売買を原因として、被控訴人中村宏に対し持分一〇分の九、被控訴人中村知子に対し持分一〇分の一の所有権移転登記手続きをするとともに、

〈2〉 被控訴人らに対し、原判決別紙物件目録二記載の建物を明け渡せ。

3 主文第三項と同旨。

4 訴訟費用は、第一、二審とも、控訴人の負担とする。

5 登記手続きを求める部分を除き、仮執行の宣言。

第二  事案の概要

一  本件は、控訴人が被控訴人らの共有する土地の借地権を無断で譲り受けたとして、被控訴人らが控訴人に対し、同土地上の控訴人所有の建物の収去、右土地の明渡し等を求め、原審が被控訴人らの請求を認容したところ、当審において、控訴人が右建物の買取を請求し、被控訴人らが予備的に右建物につき所有権移転登記手続き、明渡し等を求めたという事案である。

二  左記1、2の事実は当事者間に争いがなく、3の事実は本件記録上明らかである

1 被控訴人らは、原判決別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)を、被控訴人中村宏(以下「被控訴人宏」という。)において持分一〇分の九、被控訴人中村知子(以下「被控訴人知子」という。)において持分一〇分の一の各割合で、共有している。

2 訴外甲野太郎(以下「甲野」という。)は、被控訴人らから本件土地を建物所有の目的で賃借し(以下この賃借権を「本件借地権」という。)、本件土地上に原判決別紙物件目録二記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有していたところ、平成五年一一月二五日、本件建物及び本件借地権を控訴人に対し譲り渡し、控訴人は右の日から本件建物を占有して、本件土地を占有している。

3 控訴人は、被控訴人らに対し、平成七年一〇月二五日、当審第一回口頭弁論期日において、被控訴人らの主位的請求に対する控訴人の主張が認められないことを条件として、借地借家法一四条に基づき、本件建物を時価で買取るべきことを請求した。

第三  争点

一  被控訴人らの主張

(主位的請求について)

1 被控訴人らは、控訴人が本件建物を所有して本件土地を占有していることにより、その賃料に相当する一ケ月金三万二〇八三円の損害を受けている。

よって、被控訴人らは、控訴人に対し、本件土地の所有権に基づき、本件建物を収去して本件土地を明け渡すことを求め、かつ、不法行為による損害賠償請求として、控訴人が本件土地の占有を始めた日の後である平成五年一二月一日から本件土地の明渡し済みまで右賃料相当損害金につき共有持分の割合による支払を求める。

2 控訴人の本件建物の買取請求についての主張は、当審に至って初めてされたものであって、時機に遅れて提出されたものであるから、却下されるべきである。

3 控訴人の建物買取請求については、次のような事情があるから、信義に反し、権利の濫用である。

控訴人代表者は、本件訴訟の提起前、被控訴人らの代理人太田弁護士に対し本件建物の買取請求をした際、本名の名刺を使用せず、連絡先を知らせなかったばかりでなく、控訴人の登記簿上の本店所在地には事務所も存在しない。このように、控訴人代表者の対応は、極めて不誠実である。

また、控訴人は、被控訴人らの申立てにより、本件建物について処分禁止、占有移転禁止、執行官保管の仮処分が執行された後に、これに反して本件建物の改装を行い、その結果控訴人譲受時の本件建物の価格の評価を不可能にした。控訴人は、平成六年三月以降賃料の供託すら行っていない。

本件建物の固定資産評価額は七三万六〇三六円であるにすぎず、その場所的環境についても特別の価値はない。他方、本件建物には、宇都宮地方法務局昭和三九年五月二八日受付第一二一〇八号の根抵当権設定登記(債権者株式会社栃木銀行、極度額一〇〇万円)、同法務局平成五年一一月五日受付第八三六号の根抵当権設定登記(債権者池内鉄男、極度額七〇〇万円)及び同法務局平成五年一一月二五日受付第三七二七号の根抵当権設定登記(債権者控訴人代表者、極度額二五〇〇万円)が経由されており、栃木銀行の根抵当権に基づき平成六年一〇月五日に宇都宮地方裁判所により競売開始決定がされ、同月六日付けで右決定による差押登記が経由されている。したがって、本件建物には財産的価値がないというべきである。

また、甲野は、控訴人に対し、本件建物の所有権移転登記の抹消登記手続きを請求する訴えを宇都宮簡易裁判所に提起している(同裁判所平成六年(ハ)第五四一号)。

(予備的請求について)

1 仮に、控訴人がした本件建物についての買取請求が有効であるとすれば、被控訴人らは、右請求の日において、本件土地の共有持分の割合に応じた持分の割合により、本件建物の所有権を取得した。また、控訴人が本件建物を占有していることによる損害は、本件土地の賃料相当額金三万二〇八三円を下回らない。 よって、被控訴人らは、控訴人に対し、本件建物について、右売買を原因として、右持分の割合による所有権移転登記を求め、かつ、本件建物の所有権に基づき本件建物を明け渡すことを求めるとともに、不法行為による損害賠償請求として、控訴人が本件の買取請求をした日から本件建物の明渡し済みまで右賃料相当損害金につき右持分の割合による支払を求める(買取請求前については、本件土地の賃料相当損害金の支払いを求める。)。

2 控訴人は本件建物の売買代金債権により同時履行の抗弁を主張するが、本件建物については、前記のとおり三件の根抵当権が設定されており、そのうちの一件に基づき競売開始決定がされ、その差押の登記が経由されている。よって、被控訴人らは、控訴人に対し、右競売手続きの継続中民法五七六条の準用により右代金の支払いを拒絶するとともに、他の二件の根抵当権に対する滌除の手続きが終了するまで、民法五七七条により右代金の支払いを拒絶する。したがって、控訴人の同時履行の抗弁は理由がない。

二  控訴人の主張

(主位的請求について)

1 被控訴人らは、平成五年一一月二五日、控訴人に対し本件借地権の譲渡を承諾した。

2 控訴人は、甲野の懇願により、経営困難に陥った同人経営の造花店を救済するために、合計二五〇〇万円の資金援助をし、これを担保するため本件建物に根抵当権を設定していたが、同人が倒産したため、やむを得ず本件建物を買い受けたものであり、被控訴人らに対する背信的行為と認めるに足りない特段の事情がある。

3 甲野は長期間本件建物で造花店を経営していたが、2の事情で控訴人が本件建物を買い受け、その内部を大々的に改装して、現に使用中である。控訴人が本件土地の賃借人となっても、従前の賃貸借関係よりも被控訴人らに不利益が生ずることがないのに、控訴人に対し本件建物の収去という莫大な損害を強いることは権利の濫用である。

(予備的請求について)

1 控訴人は、前記のとおり、被控訴人らに対し本件建物の買取りを請求したところ、本件建物の時価は一〇〇〇万円を下らないので、その支払があるまで本件建物についての所有権移転登記手続き及びその明渡しを拒絶する。

2 控訴人は、被控訴人らの代金支払いの拒絶に対し、民法五七八条に基づき代金一〇〇〇万円の供託を請求する。

第四  証拠関係《略》

第五  争点に対する判断

一  本件借地権譲渡についての被控訴人らの承諾の有無

《証拠略》によっても被控訴人らの承諾の事実を認めるに足りず、他に被控訴人らの承諾の事実を認めるに足りる証拠はない。

二  無断譲渡が背信的行為とならない事情及び被控訴人らの権利濫用の有無

1 前記争いのない事実、《証拠略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 控訴人は、金融業、不動産取引業を営み、造花店を経営する甲野に対し貸金債権を有していたところ、平成五年一一月二五日頃甲野が倒産したため、本件土地の借地権の譲り受けにつき事前に被控訴人らと交渉すらしないまま、控訴人の甲野に対する貸金の返済に代えて本件建物及びその借地権を同人から譲り受け、同年一二月一日に本件建物の所有権移転登記を受けた(もっとも、甲野は、平成六年六月、控訴人に対し、右所有権移転登記の抹消登記手続を求める訴えを宇都宮簡易裁判所に提起し、係争中である。)。

(二) 控訴人代表者は、同年一二月二日、不動産業者を通じて、被控訴人らに対し本件建物の買取り又は借地権譲渡の承諾を要求し、その後更に代金二〇〇〇万円での本件建物の買い取りを要求したが、同月九日及び一四日に被控訴人ら代理人太田弁護士から借地権の譲渡の承諾を明確に拒絶された。その際、控訴人代表者は、その連絡先、本店所在地を明らかにしなかった。

(三) 同月三日、控訴人が本件建物の敷地に鉄骨、足場材料等を運び込み、本件建物にシートを掛けたため、被控訴人らは、宇都宮地方裁判所に控訴人に対する本件建物についての処分禁止、占有移転禁止、執行官保管の仮処分を申し立て、同月二〇日にその旨の決定があり、同月二四日、その執行があった。右仮処分執行後、控訴人は、本件建物の内部に大規模な改装をした。

(四) 控訴人は、平成六年三月二四日、本件土地の平成五年一二月分から翌年二月分までの賃料として八万〇二五〇円(一ケ月当たり二万六七五〇円)を供託したが、以後は供託をしていない。

2 右に認定の事実に照らすと、本件借地権の譲受が被控訴人らに対する背信的行為と認めるに足りない特段の事情があるとはいえないし、被控訴人らの本件建物の収去、明渡しの請求が権利の濫用ということもできない。

三  本件建物の買取請求の成否

1 被控訴人らは、控訴人の本件建物の買取請求の主張は時機に遅れたものであると主張するが、借地借家法上右買取請求権を行使すべき時機について特段の制限がないこと、控訴人は当審第一回口頭弁論期日において右意思表示をしたことを勘案すると、右主張が時機に遅れてなされたものということはできない。

2 被控訴人らは、控訴人の買取請求につき信義則違反、権利の濫用を主張する。

前記二1に認定の事実によれば、控訴人代表者の本件についての対応は不誠実といわざるを得ない。

しかしながら、後記認定のとおり、本件建物については、前記仮処分後の改装による価額の増加を除外しても、その場所的利益を考慮すると、なお相当の財産的価値がある。また、《証拠略》によれば、本件建物については、被控訴人ら主張のとおり、それぞれ栃木銀行、池内鉄男及び控訴人代表者を権利者とする三件の根抵当権が設定され、そのうち栃木銀行を権利者とする根抵当権に基づく競売開始決定(平成六年一〇月五日)及び差押登記(同月六日受付)があることが認められるが、後記説示のとおり、右根抵当権及び競売開始決定の存在は、買取請求権行使の障害とならず、本件建物の時価の算定上も考慮すべきでない。更に、前記二1に認定のとおり、甲野は控訴人の所有権取得を争い係争中であるが、本訴においては控訴人が本件建物を譲り受けたことは当事者間に争いがなく、これを前提にして被控訴人らは本訴請求をしている。

これらの事情及び借地借家法一四条が建物買取請求の制度を設けた趣旨を斟酌すると、控訴人の対応の不誠実さを考慮しても、本件建物の買取請求が、信義則違反又は権利濫用であると認めるに足りず、右請求は有効であるといわざるを得ない。

3 右によれば、被控訴人らは控訴人の買取請求によって本件建物の所有権を取得したところ、弁論の全趣旨によれば、その持分の割合は、甲野に対する賃貸人としての権利の割合即ち本件土地の共有持分と同一であると認めるのを相当とする。

4 本件建物の時価につき検討するに、前記二1に認定の事実によれば、仮処分の執行の後になされた改装による増加額は考慮すべきでない。そして、《証拠略》によって認められる本件建物の再調達原価(一平方メートル当たり一二万六〇〇〇円)、経済的耐用年数(五年)、現状の床面積(九九・一〇平方メートル)を前提とし、定額法及び観察法による減価修正を行うと、本件建物自体の価額は、六二万四〇〇〇円と認められる。次に、右証拠によって認められる本件土地の基礎価額(三一六三万八〇〇〇円、一平方メートル当たり四二万円、面積七五・三三平方メートル)、所在場所、特に近隣の商店の閉鎖等付近が寂れつつある状況、その他本件に現れた一切の状況を総合考慮すると、本件建物の所在場所による利益は、右基礎価額の一割に相当する三一六万三八〇〇円と認めるのが相当である。以上によれば、本件建物の時価は、三七八万七八〇〇円と認められる。

四  被控訴人らの代金支払い拒絶の可否

右三2に認定のとおり、本件建物には権利者をそれぞれ池内鉄男及び控訴人代表者とする根抵当権が設定されている。このような場合、右根抵当権の存在は本件建物の時価の算定上考慮されないが、買取請求によって本件建物の所有権を取得した被控訴人らとしては、民法五七七条により、根抵当権者に対する滌除の手続きが終了するまで本件建物の代金の支払いを拒絶することができると解すべきである(最高裁判所昭和三九年二月四日判決、民集一八巻二号二三三頁参照)。 また、前記三2に認定のとおり、本件建物についての根抵当権者である栃木銀行の申立てにより、控訴人の買取請求前に競売開始決定及びその差押登記が経由されている。この場合、被控訴人らは栃木銀行に対し滌除の手続きをすることができないし、競売が実施されると本件建物の所有権を失うこととなる。他方、右競売申立てが取り下げられる可能性も可定できないし、被控訴人らが利害関係のある第三者として被担保債権を弁済することも可能である。したがって、借地借家法一四条の立法趣旨を考慮すると、右のような事情の存在により、直ちに控訴人が買取請求権を行使することが妨げられると解すべきではない。しかしながら、被控訴人らとしては、その地位の不安定性に鑑み、民法五七六条の類推適用により、右競売手続きの継続中は本件建物の代金の支払いを拒絶することができると解すべきであり、また、右事情の存在は本件建物の時価の算定上考慮されないと解すべきである。

五  控訴人の供託請求の可否

控訴人は、本件最終口頭弁論期日において、被控訴人らに対し本件建物の代金の供託を請求し、右請求は民法五七八条により有効というべきところ、被控訴人らが右代金を供託したことについては、主張・立証がない。しかしながら、代金支払い拒絶権は、買主が目的物の所有権を失う危険等を回避するための制度であり、売主の供託請求権は買主の資力を担保するための制度であることに鑑みると、買主たる被控訴人らが売買の目的物たる本件建物の所有権移転登記及びその明渡しを求めている本件の事案においては、両当事者の請求の牽連性に鑑み、これを同時に履行すべきものと解することが当事者の公平上相当というべきである。 六 本件土地及び本件建物の賃料相当損害金

《証拠略》によれば、甲野と被控訴人らとの間の本件土地の賃貸借契約において賃料が一ケ月三万二〇八三円と定められていたこと、及び本件土地の賃料相当額は右賃料額を下回らないことが認められる。右事実及びこれまでに認定・説示したところによれば、控訴人は、被控訴人らに対し、平成五年一二月一日から本件建物の買取請求の日まで本件土地を占有していたことにより、右賃料相当額の損害を与え、右買取請求の後本件建物の明渡し済みまで本件建物を占有していることにより、これと同額の損害を与えていることが認められる。

第六  結論

以上によれば、被控訴人らの控訴人に対する本件建物の所有権移転登記手続き及び明渡しの請求は、代金三七八万七八〇〇円の供託と引き換えの限度で理由があり、本件土地及び本件建物の賃料相当損害金の請求は理由があり、その余の主位的請求及び予備的請求は理由がない。

よって、原判決は右と異なる限度で失当であるから、これを変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 丹宗朝子 裁判官 細川 清 裁判官 北沢章功)

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